たとえ届かぬ恋だとしても

とりささみ さんからの投稿

(Twitter @torisasami_02)


私は元々、小学生の時は男子に恋をしていました。しかし小学五年生ぐらいから「何となく違うんじゃないか」と違和感を覚えるようになりました。周りが騒ぐほど、男子に魅力を感じなくなっていました。そして友達と当たり障りのない話をしたりして過ごし、地元の中学校に進学することになりました。そこで彼女に出会ったのです。


Nちゃん(中学校で出会った女の子)には私から話しかけました。自己紹介の時に同じ漫画が好きだと言っていたので、話しかけるタイミングをうかがっていました。「ここだ!」と思い、荷物置き場で声をかけました。「今日のテストやだねー」と。その瞬間は五年経った今でも思い出します。Nちゃんとは三年間同じクラスでした。次第に、私はNちゃんのことを大切な存在に感じるようになりました。友達と言う表現では浅く、かと言って告白もしていないのに恋人だなんて言うのはおこがましい。「友達以上、恋人未満」だと、私の中では考えていました。彼女がそう思っていたのかは分かりません。部活も別々でしたし、いつメンは私を含めて五人いましたから。「貴女は私の一番だけど、私は貴女の一番じゃない」と、心の中で言い聞かせていました。最初はあくまでも友達として隣にいるだけで、それだけで満足でした。ただ日を追うごとに、「かわいい」「他の子と仲良くしているとモヤモヤする」といった、いかにも「恋」らしき感情が芽生えてきました。


ある日のことです。体育の授業中、Nちゃんは別のグループでダンスの練習をしていました。それを別の友達と眺めていました。

「Nってかわいいよね」

私が呟くと、その時言われたのです。

「Nが可哀想だよ」

ショックでした。その言葉は私の心を粉々にしました。「私がNちゃんを好きになることは、Nちゃんにとって可哀想なことなんだ」と。その日は部活もせずに帰って、制服のままベッドに突っ伏したのを覚えています。それからも心の奥では彼女の存在に依存したまま、中学校を卒業しました。別々の高校へ進学し、私たちを繋いでいるのはLINEだけでした。


離れたことで気持ちが強くなっていたのかもしれません。高校一年生の時、私はNちゃんに告白をしました。個人チャットで、夜の十時過ぎだったと思います。

「月が綺麗ですね」

「星が綺麗ですね」

一文目は “愛しています”

二文目は “あなたは私の燃えるような気持ちを知らないのでしょうね”

という意味が込められています。

一大決心でした。これで友達関係が崩れるかもしれない。でも考えたのです。別の高校に進んだNちゃんは、そのうち私を跡形もなく忘れてしまうのではないかと。それならばいっそのこと、この三年間秘め続けた想いを伝えてしまおうと。それで壊れてしまう関係なら、Nちゃんにとって私はそれまでの人間だったということです。


少し時間が経ってから、LINEの通知音が鳴りました。そこにはNちゃんの名前が。震える手でメッセージを開きました。

「もしかしたらいつか、青い月が見られるかもしれない。でも今はまだ分からないな」

英語には “once in a blue moon” と言って、めったに起こらない事を意味する慣用句があります。

どうしようもなくやさしい断り方でした。Nちゃんの気遣いが見て取れるものでした。Nちゃんは異性愛者です。きっと、私を傷つけないように言葉を選んでくれたのでしょう。本当に出来た人です。恋愛感情以前に、人としてNちゃんのことが好きでした。思春期特有の気持ちの揺れ動きだと言われればそれまでですが、こんなにも人を愛しく感じたのは生まれて初めてでした。本当に、本当に大好きでした。


Nちゃんとの思い出は、どれを眺めても心が満たされ、忘れかけていた「好き」という感情を思い出させてくれます。私は今でもNちゃんのことが好きなのかもしれません。いや、ただの友達だと割り切れたのかもしれません。
異性愛者の彼女と、同性でありながら彼女に恋をしてしまった私。
これが、たとえ未来永劫届かぬ恋だとしても、私はきっと忘れないでしょう。彼女のことが好きで、彼女に夢中になって、全てにおいて充実していたあの日々を。


そして、何度も思い出すでしょう。

「いつか、青い月が見られるかもしれない」

美しすぎて、胸が痛いほどに締め付けられる言葉を。


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