花屋の店員さん
Fika中の人 さんからの投稿
大学一年から二年にかけて、私はホテルでアルバイトをしていた。オープンして一年も経たない、ちょっとお洒落でラフな雰囲気のホテル。古びた商店街にはどうしても馴染まなくて、それがなんだか可笑しくて好きだった。
バイト先までは家から電車で10分弱。今日はどんなお客さんに会えるんだろうというドキドキと、もう一つのドキドキがあった。
バイトを初めて数日間は、新しいことを覚えるので精一杯だった。受付だけじゃなくて清掃も併設のカフェ業務も、全部覚えないといけない。メモを取っては帰りの電車で復習を繰り返した。行き道もメモを振り返りながら歩いた。頭がいっぱいだったけど、忙しい方が断然楽しかった。
何度も出勤を重ねてバイトには慣れてきた。いつも夕方から夜にかけて働いていたけど、その日は朝から夕方までのシフトだった。明るい空を見たりしながら歩いているとすぐ駅に着いた。改札へ向かう途中、丁寧に並べられた花が目に入った。普段は帰りが遅くて閉まっている花屋。軽い気持ちで店に入ると、ロングの巻き髪がよく似合う、綺麗な店員さんがいた。
目が合ってしまって、咄嗟にぎこちなく口角を上げた。店員さんは優しい顔で笑ってくれた。すぐに後ろを向いて、必死に花の名前を頭の中で読み上げた。自分に余裕がない。無意味な呪文を唱えても仕方がないけど、冷静になるにはそうするしかなかった。色のバランスを考えながら何本か花を手に取り、レジへ持っていった。店員さんが目の前にいる。好みの茎の長さを聞かれ、答えて、ラッピングしてくれるのを待つ。花をよく買う私にとって慣れている工程のはずなのに、時間がとても長く感じた。無事にお金を払って、またぎこちなく口角を上げながら店を出た。
店員さんのことを何も知らない。でも、特別にドキドキした。一目惚れだ。
家に帰るとすぐ花瓶に花を挿した。綺麗だと思いながら、少し恥ずかしい気持ちになった。
その日から、ドキドキが一つ増えた。
いつものように電車に揺られ、駅に着き、改札を通る。
バイト前はお花を買えない。だから花屋を一瞬だけ覗いて通る。あの店員さんがいる日は、それだけで一日中頑張れた。バイト先でずっとニコニコしていた。どうしようもなく単純だ。
カフェだったら毎日通えていたかもしれないけど、花屋だとそうはいかない。家がお花畑になってしまう。だから、二ヶ月に一回ぐらいの頻度で花を買うようになっていた。髪を切ったことに気づいてくれたり、一緒に悩みながら花を選んでくれたり、些細なことがとにかく嬉しかった。常連さんでも初めて来た人でも、どんなお客さんにも優しかった。ある日、お会計の時に、花屋での仕事について尋ねたことがある。冷たい水で手が荒れたり、力仕事が多かったりで大変なんだそう。でも、花が好きだから続けられると話してくれた。
そういうところが好きなんだと思った。
それからも同じようで新鮮で、毎回ドキドキする日々がずっと続いた。
ホテルでのバイトを始めて一年二ヶ月が経ち、バイトを辞めることを考え始めた。大学生のうちに、たくさん新しいことに挑戦したかったからだ。バイトを辞めたら、花屋のある駅に行くことが無くなる。あの店員さんに会うことも無くなる。
もちろん寂しさと名残惜しさでいっぱいだった。でも、勝手に一目惚れして、元気をもらって、すごく甘えていたのも分かっていた。
いつでも行ける距離だけど、あれから一度も行っていない。名前すら聞けなかった花屋の店員さん。もっと成長して、あんな素敵な女性になりたいと思う。
そして、また花を買いに行きたい。
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